第一章 「新たなる旅立ち」
真新しいスーツケースの車輪が、駅のプラットフォームを軽やかに転がっていく。佐藤美咲の足取りは、不安と期待が入り混じった複雑なリズムを刻んでいた。朝もやに包まれた駅には、まだ人の姿はまばらだ。
美咲は、出発の時を告げる電光掲示板を見上げた。あと15分。彼女の心臓が、わずかに早まるのを感じる。30年間慣れ親しんだ故郷を離れ、東京という未知の大都会へ。この決断が正しかったのか、今さらながら自問する。
ホームに佇む美咲の耳に、遠くから近づいてくる列車の轟音が聞こえてきた。風が髪を揺らし、彼女は無意識に襟元を正す。スーツケースのハンドルを握る手に、少し汗が滲んでいるのに気づいた。
列車が目の前に滑り込んでくると、美咲は深呼吸をした。ドアが開き、乗客が降りてくる。その流れに逆らうように、彼女は一歩踏み出す。車内に足を踏み入れた瞬間、どこか懐かしい車内の匂いが鼻をくすぐった。
座席に腰を下ろし、窓の外を見る。プラットフォームには誰も見送りに来ていない。そう決めたのは自分だった。別れの言葉を交わせば、きっと気持ちが揺らいでしまう。美咲は静かに目を閉じ、心の中で故郷に別れを告げた。
列車が動き出す。車窓から見える景色が、ゆっくりと流れていく。美咲は懐から一枚の写真を取り出した。両親と弟との最後の家族写真だ。指でそっと撫でる。「見ていてね。私、頑張るから」と、小さくつぶやいた。
徐々に加速する列車とともに、美咲の心にも新たな決意が芽生えていく。未知の世界への不安は確かにある。でも、それ以上に、これから始まる新生活への期待が胸を躍らせる。
車窓の外では、朝日が徐々に姿を現し始めていた。美咲は、まぶしい光に目を細める。その光は、まるで彼女の未来を照らしているかのようだった。
列車は、どこまでも続く線路の上を滑るように進んでいく。美咲は深く椅子に身を沈め、目を閉じた。耳に響く規則正しい車輪の音が、彼女を優しく包み込む。
これから始まる新しい人生。それは未知の冒険であり、同時に自分探しの旅でもある。美咲の唇に、小さな微笑みが浮かんだ。
地平線の彼方に、東京が待っている。
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